阪神タイガース所属の湯浅京己(ゆあさ あつき)選手。
長身から投げ下ろすダイナミックフォームで、クローザーというポジションを任せれていますね。
そんな湯浅京己選手のご実家は、地元で有名な精肉店っていうのをご存知でしょうか?
強靭な肉体が生まれな秘密は、実家にあるかも知れませんね。
そこで今回は、湯浅京己選手の実家と家族構成について紹介していきます。
湯浅京己の実家は精肉店ぶたふく
湯浅京己選手のご実家は三重県尾鷲市にあり、精肉 兼 総菜店で『ぶたふく』というお店を経営されています。
住所:三重県尾鷲市野地町1-17
地元では有名なお店なようで、ファンの間では湯浅京己選手のご実家であることは知られています。
お店の写真を見ると、地域密着型のお店ですよね♬
現代で大型スーパーなどが進出してきて、こういったお店は減ってきているので貴重な存在だと思います。
看板メニュー
『ぶたふく』のメインのメニューは、焼豚・肉まん・手羽先・コロッケ・メンチカツ・から揚げを中心として惣菜になります。
その中でも、ぶたふく特製焼き豚は『日本百選』にも選ばれているほどの愛されている味だそうです。
また、湯浅京己選手の大好きなメニューは、味噌カツどんと肉巻きおにぎりと語っています。
味ももちろん美味しいのですが、何よりそのボリュームが凄いとTwitterでも話題になっていました。
写真で見るだけでも、相当なボリュームですよね♬
値段もリーズナブルなので、学生にとっては天国だと思います。
湯浅京己の強靭が肉体が出来た理由
湯浅京己選手の身長は182cmで、ストレートの最速は156kmのボールを投げることができます。
もちろん投球フォームなどの技術もありますが、それは強靭な肉体があってこそ成立するものです。
そんな湯浅京己選手は中学時代から身体を大きくするために、毎日ステーキを食べていました。
この体を作ったのが湯浅投手のお母さん。
デイリー
体を大きくしたいと、中学時代にお弁当に毎日毎日、ステーキを入れていた。
なんで毎日そんな豪華なステーキを入れられるかというと、湯浅投手の実家がお肉屋さんなんです。
先ほど紹介したようにご実家が肉屋ということで、自らステーキを弁当に入れるようにお母さんに頼んでいたようです。
お肉はタンパク質なので、それを摂取することは身体作りの基本ですよね。
中学生といえば成長期の真っ最中なので、そのタイミングでステーキを食べたことでグンと身体が成長した可能性が高いのではないでしょうか。

また、高校時代や社会人時代でもお母さんからの食事の支援は、湯浅京己選手にとって大きな力だったようです。
実家が精肉店なので、中学校の時、お弁当に毎日、お肉とかステーキとか焼き肉とかいろいろ必ず入っていました。
本当に全部おいしい。何を出されても全部大好きでした。聖光学院(福島)では寮生活。
日刊スポーツ
レンジでチンしたら食べられるように冷凍でステーキとかを送ってもらっていました。
独立リーグ時代も1人暮らしだったので、焼いたらすぐに食べられるようにしてくれていたり…。
食事の面で本当に助けられましたし、ありがたいなと思います。
アスリートと食事は切っても切り離せない関係なので、大きな力だったはずです。
湯浅京己選手の強靭な身体は、お母さんが作ったと言っても過言ではないような気がします。
湯浅京己の家族構成
父
湯浅京己選手のお父さんは栄一さんという名前で、法政大学野球部出身だそうです。

三重県の強豪である三重高校の出身で、法政大学から社会人野球『昭和コンクリート』で野球を続け、ポジションは捕手としてプレーをされていました。
湯浅京己選手が野球を始めたきっかけはもちろんお父さんで、その影響もありとにかく外で身体を動かすことが好きだったそうです。
そんな中、湯浅京己選手は小学校1年生から野球を始めたかったようですが、成長段階の肩や肘を酷使することを避ける為に、小学校4年生までお父さんとのキャッチボールだけでした。
こういうふうに、無理矢理でも子供の身体を想って練習量をコントロールできるお父さんの存在は非常に貴重だと思います。
その頃から、湯浅京己選手はとにかく負けず嫌いでなかなか練習を辞めることをしなかったそうです。
やはりプロ野球選手になる人は、一味違いますよね♬
そんな成長した湯浅京己選手とキャッチボールをしたお父さんはこのように語っています。
僕も三重高、法政大、社会人まで野球を続け捕手でした。
スポニチ
今まで受けるのに恐怖心とかはなかったんですけど、今年は球速も球の質も上がっていた。初めて捕るのが怖いなと思いました。
プロ野球選手のボールを捕れる方がすごいですよね。
恐怖を感じながらも、お父さんは自慢の息子の成長をそのボールから感じていたのではないでしょうか。
母
湯浅京己選手の母親の名前は衣子さんです。

湯浅京己選手を食事の面で一番サポートをしたのはお母さんではないでしょうか。
そんなお母さんに感謝を込めた、心温まるエピソードがあります。
母の日に思い出に残っていることがあるんです。
日刊スポーツ
京己が聖光学院(福島)を卒業して、独立リーグに入った1年目。
初めてのお給料でピンクの長財布を買ってくれました。
今でも大切に使っています。
感謝の気持ちを素直に伝えてくれる子で、何げない「ありがとう」だけでもすごく幸せな気持ちになるのに、今日の活躍は今までで一番のプレゼントになりました。
これからもけがなく、チームのために貢献してほしいです。
なかなか照れ臭くてできることではないと思いますが、こうやって行動に移してくれるのは素晴らしいことですよね♬
また、湯浅京己選手は両親に対して、このような言葉で活躍を誓っています。
自分が投げている姿を見てもらいたい。
スポニチ
支えてきてもらっているので、一番恩返ししたい。
湯浅京己選手の心の中には、常に両親への想いが詰まっているのではないでしょうか♬
兄弟
湯浅京己選手の兄妹についてですが、情報を見つけることができませんでした。
もしかすると、まだ学生か一人っ子の可能性が高そうです。
また、新しい情報が入り次第追記します。
湯浅京己のWBC感動秘話
湯浅京己選手は、2023年3月に行われたWBC大会に日本代表として選出され、見事世界一に貢献しました。
そんな湯浅京己選手ですが、小さい頃に『WBCに絶対に出場すると』語っていたそうです。

あっちゃんへ
覚えているかな?あっちゃんが小4の時、2人で観戦したWBC「絶対WBC出る!」って無邪気に言った時の笑顔は、今でもしっかり目に焼き付いています。
あれから14年。
大好きな野球ができなくて、辛い時期もあったけど、着実に夢への一歩を踏み出したあっちゃんに感動すら覚えています。
いつも笑顔で信じた道を進む姿を逞しく誇りに思っているよ。
緊張もプレッシャーも想像以上だと思うけど、いつも通り、気負わず、自分らしく、愉しんでね!あっちゃんの笑顔は私のとって何よりの宝物です。
これからもたくさんの笑顔を見せてくれるの、楽しみにしてるね。
決して無理をせず、身体にはくれぐれも気をつけてね。ずっとずっと応援しているよ!!
母より
デイリー
どんな大きな夢であっても、それを口に出すことはとても大切であることがよくわかりますよね♬

実際、WBC大会では登板しており、堂々たるピッチングを披露していました。
湯浅京己選手自身は大舞台での登板は楽しかったでしょうし、両親にとってはその姿を見れたことが何より幸せだったのではないでしょうか。
まとめ
湯浅京己選手の実家と家族構成についての紹介でした。
実家が精肉店だったということは、身体作りという点では最高の環境でしたね。
また、WBCにまつわるお話も感動的でした。
世界一を経験して一回り成長した湯浅京己選手の活躍をこれからも期待しましょう!
