こんにちは!りょーすけです!
東京ヤクルトスワローズのキャプテンで、球界を代表する打てる内野手として活躍している山田哲人選手。
最近はキャプテンとしての重圧と年齢、見えない敵との戦いで苦悩を抱えていますが、チームにおける存在感は今でも抜群です。
今回はそんな、山田哲人選手の輝かしいこれまでの経歴、選手としての特徴を詳しくまとめました。
頼れる弟・村上宗隆選手との関係性、キャプテンとしての苦悩についても紹介しているのでぜひチェックしてください!
ヤクルトスワローズ・山田哲人選手の年俸(生涯)
申し分のない結果を残している山田選手なので、これまでの獲得総年俸も桁違いです。
2011年→720万円
2012年→800万円
2013年→1000万円
2014年→2200万円
2015年→8000万円
2016年→2億2000万円
2017年→3億5000万円
2018年→2億8000万円
2019年→4億3000万円
2020年→5億円
2021年→5億円
2022年→5億円
ざっくり計算すると、これまでの総獲得年俸は約29億円になります。
年俸だけの計算になるので、それ以外にスポンサー収入やテレビやCM出演などの金額を足すと、30億円以上は稼いでいると考えられます。
ここまでくると想像ができませんよね(笑)。
ちなみにアメリカ・大リーグで2022年現在、一番年俸を貰っている選手の年俸が約56億円になっています。
これまで山田選手が稼いだ金額を、たった一年で超えています。
税金対策や時給に換算するといくらなのかなど、素朴な疑問がありますが、考えると自分との違いに驚愕すると思うので、このあたりでやめておきます(笑)。
山田哲人選手の経歴(出身中学・高校時代)
〜基本情報〜
名前:山田哲人(やまだ てつと)
生年月日:1992年7月16日
身長・体重:180cm・76kg
出身地:兵庫県豊岡市
出身中学:宝塚市立御殿山中学
出身高校:履正社高等学校
所属:東京ヤクルトスワローズ
〜選手情報〜
投球・打席:右投・右打
ポジション:セカンド
プロ入り:2010年ドラフト会議・東京ヤクルトスワローズ1位指名
1軍初出場:2012年4月5日
年俸:5億円(推定)
タイトル:本塁打王(2015)、盗塁王3回(2015・2016・2018)、最高出塁率(2015)、最多安打(2014)
国際舞台:2021年東京オリンピック野球日本代表・WBC(2017)・プレミア12(2015・2019)
生い立ち〜中学・高校
小さい頃から空手やサッカーなどスポーツをしており、運動神経はその当時から抜群で、小学校2年生の時に宝塚リトルリーグに所属して野球を始めます。
入団当初は練習がキツく、涙を流すこともあったようですが辞めることなく外野手として活躍しました。
中学では宝塚市立御殿山中学に進学、同校の野球部には所属せず、ヤングリーグ・兵庫伊丹に入団しプレーをしています。
全国大会に出場したような情報はなく、全国的に有名な選手ではなかったようです。
山田選手自身も、『小学校・中学での時はプロの世界に行けるなんて思ってなかった』と語っています。
高校は、大阪の強豪・履正社高等学校に進学、家族で同校がある豊中市に引っ越しをしました。
1年の夏からベンチ入りを果たし、2年の夏にはセカンドでレギュラー、2年の秋にはショートのコンバートされ活躍をしています。
3年生の春には、大阪府大会優勝・近畿大会準優勝を決め、最後の夏は甲子園大会に出場をしました。
2回戦の天理戦では履正社高校夏の初勝利の貢献、その後の聖光学院高校戦ではホームランを放つなど活躍しましたが敗戦しています。
大会終了後にプロ志望届を提出、2010年ドラフト会議では東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け入団しました。
プロ入り後
プロ1年目の2011年シーズン、1軍公式戦の出場はありませんでしたが2軍の試合で好調をアピール、主力の怪我の影響で中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズ第1戦で『1番・ショート』で先発出場を果たす。
4打数無安打に終わったものの、高卒新人野手でのクライマックスシリーズ出場は山田選手が史上初でした。
第4戦では初安打・初打点を記録、高い適応能力を見せています。
プロ3年目2013年シーズンから1軍に定着、2014年シーズンは大幅に打撃が向上。
オールスターにも選出、シーズンを通して安定した成績を残し、右打者として最高記録となる193安打を放ち、最多安打のタイトルを獲得しました。
2015年シーズンは、さらなる進化を遂げチーム唯一の全試合フルイニング出場を果たし、打率.329、38本塁打、100打点、34盗塁、球団初のトリプルスリーを達成しました。(23歳での達成はセリーグ最年少記録)
2016年には2度目のトリプルスリー、2018年に3度目のトリプルスリーを達成、実力・名実ともに球界を代表する選手に大きく成長しました。
2020年シーズンにはフリーエージェント(FA)権を獲得するも、『自分の居場所はここだと感じた』と語りヤクルト残留を決意、青木選手に代わってキャプテンになることを志願しています。
キャプテンとして迎えた2021年シーズン、東京オリンピックでは悲願の金メダルを獲得、チームにおいては味方を鼓舞したり、積極的に後輩の指導にあたるなど存在感を放っていました。
そして、2年連続最下位に沈んだチームを見事6年ぶりのリーグ優勝に導き、日本シリーズではオリックスとの死闘を制し20年ぶり6度目の日本一の栄冠を手にしました。
選手としての特徴や能力
※この特徴バロメーターは筆者独自のものです。公式の評価ではありません。
打撃
ホームランバッターというには身体は大きくありませんが、確実性の高い打撃と卓越したスイングスピードでホームランか打てる打者。
スピードとパワーを兼ね備えるプロ野球界最高の右打者と言われています。
インコースへの対応が非常に上手く、相手ピッチャーの渾身のボールをスタンドまで運ぶこともよくある。
また、打つだけでなく選球眼が良く、ファボールを選んでの出塁も多い。
ボール球には簡単に手を出さず、甘いボールはしっかり振り抜くというバッターの理想を体現。
プロ野球界でも簡単に打ち取ることか出来ない打者の1人だと思います。
守備
ヤクルト入団前は守備に難があったものの、入団後はメキメキと上達し評価を上げています。
ショートを守っていた際に送球難があり、一軍昇格後はセカンドのポジションに固定されました。
セ・リーグのセカンドには名手・菊池涼介選手がおり、ゴールデングラブ賞には届いていませんが、守備力は球界トップクラスを誇ります。
山田選手自身もこの賞にも強い思い入れがあると語っています。
走塁
50m5秒6.7、中学時代には100m11秒5という快足の持ち主。
足の速さだけでなく、盗塁とベースランニングの技術にも非常に長けており、2015年には盗塁成功率89.5%を記録している。
相手バッテリー心理を読むのが上手く、盗塁する素振りを見せずに初球から盗塁をするなど、細かい駆け引きも上手い。
また、スライディング技術にも定評があり、ランナーに出すも非常に厄介な選手であることは間違いありません。
キャプテンとしての苦悩
山田選手は、2020年シーズン終了後に『同じ環境にいると、甘えが出ると思ったから』と自らキャプテン就任を志願しています。
元々、口数が多い方ではなく、自ら志願したキャプテン就任には、周りの友人が驚いたそうです。
しかし、キャプテンに就任したことで行動が変わり、遠征先の宿舎では若手投手を見つけては隣に座り話を聞いたりと、積極的にコミニュケーションを図る姿があったそうです。
高津臣吾監督は、『ベンチでもすごく声を出すようになりましたし、勝ちたい意欲であったり、チームを助けたい気持ちというのはすごく伝わってきます。ベンチの中だけでも、何とかしたいという気持ちはすごく伝わってきますね』と高い評価をしています。
『キャプテンになったことで、変なプレッシャーを自分にかけていることがあった』と山田選手が語るように、2022年シーズンは自身の打撃不調やチームメンバーのコロナ感染による離脱で苦しかったようです。
6連敗した時は、その責任を背負い『助けてください』と頭を下げたていたと村上選手がインタビューで語っていました。
それくらい、見えない重圧に苦しみながらもキャプテンとしてチームを牽引する姿にチームはさらに結束を固め、見事2年連続リーグ優勝。
優勝後はチームの主砲・村上選手と抱き合い涙する姿は感動的でした。
今後の展望
山田選手は2020年シーズン終了後、年俸5億円➕出来高、7年契約を球団と結んでいます。
プロ野球人生を大きく変えるフリーエージェント権を行使せず、7年契約を結んだということは、引退するまでヤクルトでプレーをする決意の表れと言っても過言ではないと思います。
またそのタイミングでキャプテンに就任しており、山田選手にとって大きな決断で覚悟を持っていたと感じます。
ヤクルトにはどんどん若手選手が育っており、山田選手を筆頭に、青木選手や石川選手のような第一線で活躍するベテランの力はチームを強くするためには必要不可欠。
『ヤクルト黄金時代』の再来と言われるチームにあって、山田選手の存在はますます輝きを増すはずです。
頼りになる弟分・村上宗隆選手
村上選手と山田選手は、年齢では8歳離れています。
その関係性はほんとうに仲が良い先輩・後輩に映ります。
山田選手をはじめ、チームの主力がコロナで大量離脱した時も、村上選手はチームの先頭に自ら立ち、チームを支えました。
山田選手にとって後輩でありながらも、村上選手の存在は大きな力になっているはずです。
リーグ優勝した時、山田選手が村上選手に抱かれ涙を流している姿、それがこの二人の関係性の全てを物語っているように感じます。

まとめ
山田哲人選手の年俸や経歴についての紹介でした。
これだけ活躍している山田選手でも、プロ1年目と2年目は2軍だったのは驚きでしたね。
大きく飛躍した4年目以降、年俸も右肩上がりで球界を代表する選手まで成長しました。
3度のトリプルスリー達成は、今後塗り替えることが出来ないほどの偉業だと思います。
30歳を超え円熟味が増し、またキャプテンとしてもどんなチームを作ってくれるのか非常に楽しみですね♬
これからも山田選手に期待しましょう!
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
記事が良かったなと思って頂けたら、コメントやブックマーク宜しくお願いします!
Twitterのフォローも大歓迎ですので、お待ちしております!
Twitterアカウトはこちら。