こんにちは!りょーすけです!
投手として必要な能力を全て兼ね備え、メジャーリーグの名門ニューヨーク・ヤンキースでも活躍した、現・東北楽天ゴールデンイーグルス所属の田中将大選手。
日本の枠を超えて、世界的に見ても最高クラスの投手であることに、疑う余地はないと思います。
高校3年生の時には、斎藤佑樹選手率いる早稲田実業高校と決勝再試合という壮絶な投げ合いを演じ、2013年には開幕から無傷の24連勝など、数々の伝説を残しています。
今回は、田中将大の経歴、凄さや特徴、野村克也氏と星野仙一氏との出逢い、年俸の推移、メジャーリーグ復帰の可能性についてなど、たっぷり紹介していきます!
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田中将大選手の基本情報と経歴
~基本情報〜
名前:田中将大(たなか まさひろ)
生年月日:1988年11月1日
出身地:兵庫県伊丹市
身長・体重:190cm・95kg
出身高校:駒澤大学附属苫小牧高等学校
所属:東北楽天ゴールデンイーグルス
愛称:『マー君』
妻:タレントの里田まいさん
〜選手情報〜
投球・打席:右投・右打
ポジション:投手(ピッチャー)
プロ入り:2006年ドラフト・東北楽天ゴールデンイーグルス1位指名
1軍初出場:2007年3月29日対福岡ソフトバンクホークス
1軍初勝利:2007年4月18日対福岡ソフトバンクホークス
年俸:9億円(推定)
小学校から高校時代まで
兵庫県の伊丹市の出身で、小学校1年生の時に地元の軟式野球チームに入団し、野球を始めます。
その時のチームメイトが、読売ジャイアンツに所属している坂本勇人選手で、田中選手がキャッチャー、坂本選手が投手でバッテリーを組んでいました。
バッティングでも相当な能力を持っており、柵超えを連発していたそうです。
中学校では硬式野球チームに所属し、肩の強さをいかしてピッチャーも兼任するようになります。
中学校3年生の時は、関西の選抜チームに選ばれ、その実力は地元でも有名でした。
高校は、地元を離れ、北海道の駒澤大学附属苫小牧高等学校に進学、1年の秋は正捕手としてレギュラーを獲得しています。
2年生の夏の甲子園大会では、投手としてエースナンバーを背負い、チーム最多投球回数を投げ、大会を制覇しました。
この時、2年生では史上最速の150kmを計測し、一躍甲子園のスター選手になります。
3年生の春の選抜大会は部員の不祥事があり、出場できませんでしたが、夏の甲子園大会には出場し、決勝まで進出。
決勝では、ハンカチ王子こと斎藤佑樹選手率いる早稲田実業高等学校と対決し、37年ぶりの決勝再試合になる、激闘を演じています。
結果は敗れてしまいましたが、この歴史的な戦いは後世に語り継がれることでしょう。
ちなみに、筆者自身はこの決勝再試合をレフトスタンドで生観戦しました。
決勝戦は平日だったと記憶していますが、入場制限がかかるくらいに人の多さで、この試合の注目度の高さは異常だったと思います。
あの炎天下の中、白球を追いかける高校生の姿にほんとに感動しました。
何年も高校野球を甲子園で観戦してきましたが、この試合ほど印象に残る試合はないと思います。
東北楽天ゴールデンイーグルス時代
2007年4月18日のソフトバンク戦で初勝利初完投を記録。
また、6月13日の中日ドラゴンズ戦で、高卒新人では2005年のダルビッシュ有選手以来の完封勝利を飾っています。
高卒新人としては、史上6人目となるシーズン100奪三振、球団初の2桁勝利、規定投球回数にも到達しており、文句なしで2007年の新人王タイトルを獲得しています。
その後は、大きな怪我や故障もなく、順調に勝利数を重ね、楽天の絶対的なエースとして君臨します。
そして、2013年シーズンは無敗の24連勝、昨シーズンからの連勝は28と、伝説となる記録を打ち立てます。
この2013年シーズンは、楽天球団史上初の日本一、田中将大選手は、胴上げ投手となっています。
最多勝、最優秀防御率、勝率で1位を獲得、さらには沢村賞、自身初のMVPを受賞し、記録づくしの年になりました。
ニューヨーク・ヤンキース時代
2014年、メジャーリーグの名門・ニューヨークヤンキースと、総額総額1億5500万ドルの7年契約で合意し、入団しています。
2014年4月4日に初先発し、7回3失点と好投し、メジャーリーグ初勝利をあげました。
メジャーリーグの中でも、最もメディアやファンの評価が厳しいと言われる球団で、開幕投手を務めたりと、ヤンキースでもエースとして活躍します。
日本とメジャーリーグとでは、球数制限や調整方法、移動距離や時差など、かなり環境の違いがあります。
しかし、1年目から高い順応性を見せ、活躍をしています。
楽天時代は、ストレートでぐいぐい押していく、パワーピッチャーの印象がありましたが、メジャーリーグでは、多種多様な変化球を駆使し、打たせて捕るピッチングに変貌しています。
ヤンキース時代には、妻の里田まいさんとの間に第1子が誕生しており、公私ともに順調ですよね。
2020年に、球団の事情もあり自身初のFAとなり、2021年1月28日、楽天に復帰が正式に決定しました。
田中将大選手の凄さと特徴
抜群の制球力(コントロール)
良い投手の条件は?と聞くと、大多数の方が『コントロールが良い』と答えると思いますが、それは田中将大選手にも同じことが言えます。
ストレートをはじめ、スライダー、カットボール、ツーシーム、フォーシーム、スプリット、カーブを駆使して、打者を翻弄しています。
この全球種でストライクを取ることができますが、特に高校時代から評価が高かったスライダーは1級品で、カウントを整えたり、決め球として、投球の約8割ほどを占めます。
メジャーリーグに行っても、抜群の安定感で活躍ができたのは、この球種の幅の広さと、コントロールの良さが大きな要因だったと思います。
強靭な肉体と精神力
高校時代では、甲子園を含めた公式戦でかなりの球数を投げていますが、大きな怪我や故障をすることなく、活躍をしています。
日々のトレーニングの結果でもありますが、持って生まれた体の強さが際立っていると思います。
また、それに呼応して精神力の強さも高校生離れしていました。
プロに入ってもさらに磨きがかかり、マウンドで見せる表情や振る舞いで精神力の凄まじさが分かります。
丈夫な肉体と、何事にも動じない精神力は、紛れもなく一流選手の証だと思います。
世界一の連続勝利数
2013年は開幕から無傷の24連勝、2012年シーズンから継続して28連勝という、伝説の記録を作りました。
ちなみに、2013年のポストシーズンも2連勝しているので、30連勝になり、この記録は、ギネス世界記録として認定されています。
この記録が破られる日が来るかは分かりませんが、後世に語り継がれる記録であることは間違いありません。
『2013年無敗で、チームとしては日本一、それを置き土産としてメジャーリーグに挑戦する』、こんなかっこいい選手を同じ時代に見れたことは幸せだと感じます。
驚異的な勝率と防御率
この二つの指標は、投手にとって一番重要視される指標の一つですが、田中将大選手は異次元の率を通算で残しています。
これは脅威的な数値で、いかに安定感があるかよく分かると思います。
この数値を見るだけで、世界的な投手であることに、疑う余地はないですね。
打者に向かっていく気迫
この気迫は、高校時代からマウンドでよく見ることができました。
試合の流れの中で、この打者を抑えないといけない場面では、一つギアを上げてピッチングをしています。
その時のマウンドでみる顔つきは、気迫に溢れています。
負けん気の強さと言い換えることもできますが、これは投手として絶対に必要な資質だと思います。
生涯年俸と総資産
田中将大選手は、高卒プロ1年目から活躍し、4年目の契約更改で年俸1億円を超えています。
メジャーリーグに行く前の年は4億円でしたが、ヤンキースに入団してからの年俸は22億円まで跳ね上がりました。
一般人には想像ができない金額ですよね(笑)。
プロ1年目からの総年俸をざっと計算すると、合計は180億円以上になります。
これには出来高の金額は含まれていないので、実際はこれ以上になりますし、他にも、番組やCM出演やスポンサー収入、自身のYouTubeチャンネルの収入がプラスされます。
そう考えると、田中将大選手のこれまでの獲得総資産は、少なく見積もっても200億円以上はあると思います。
この額から税金などいろいろ引かれても、すごい金額ですよね(笑)。
まだ、現役選手で33歳という若さなので、これからもっと増えると考えられます。
引退して、生涯年俸について語る日が来れば、詳しく聞きたいですね。
野村克也氏と星野仙一氏との出逢い
田中将大選手の野球人生にとって、最大の幸運は、この両監督に出会えたことだと言っても過言ではありません。
田中選手が入団した時の監督が野村克也氏で、日本一の時の監督が星野仙一氏です。
入団した際のチーム事情もありますが、野村監督が1年目から我慢強く起用してくれたことで、大きな成長をすることができました。
『マー君、神の子。不思議な子』という名言も飛び出し、野村監督の愛弟子として飛躍を遂げました。
その後、監督は星野仙一氏に引き継がれましたが、田中選手に対する信頼は揺らぐことはありませんでした。
日本一を決めた試合では、最後田中選手を抑えとして登場させたもの、星野監督らしい情のある采配だっと思います。
両監督とも、今は空の上から田中選手の活躍をお酒を飲みながら見ているような気がします。
田中選手も、もう一度日本一の報告を両監督にしたいと思っているはずなので、これからの活躍に期待しましょう!
メジャー復帰の可能性
田中選手のメジャー復帰の可能性については、常に憶測や報道がありますよね。
実際のところ、日本出身でプロ野球選手で、一度日本に戻って再度、メジャーリーグに復帰した選手はいません。
田中選手を欲しいと手を上げる球団があれば、交渉が始まる可能性はあると思いますが、お子さんがそろそろ就学する年齢になるので、そこの兼ね合いも復帰に大きく影響しそうな気がします。
年齢的なことも考えると、35歳までは復帰の可能性は高いと思いますが、それ以降は難しいのではないかと思います。
人生として考えると33歳は若いですが、野球選手として考える33歳は、引き際を考える年齢です。
どんな結末になるかは分かりませんが、田中選手と家族にとって一番ベストな選択をして、これからも長く活躍して欲しいと思います。
まとめ
どうでしたか?
この記事のおさらいポイントです!
高校生の頃から大きな注目を浴びながらも、ここまでの活躍ができるのは、田中将大選手の凄さだと思います。
心・技・体の充実があってこその活躍ですし、野球をする子供たちにとって憧れの選手ですよね♫
あの真夏の甲子園決勝で観た姿は、いまだに僕の心に強烈に焼き付いています。
野球選手として、晩年に差し掛かっていることは間違いありませんが、1試合でも1球でも長く投げて欲しいと思います。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。
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