この記事は2022年9月26日に情報を更新しています。
こんにちは!りょーすけです!
セ・リーグ2年連続最下位から、昨年は6年ぶりのセリーグ優勝、その勢いのまま20年ぶりの日本一にチーム導いた東京ヤクルトスワローズ・高津臣吾監督。
現役時代は、魔球と言われた伝家の宝刀シンカーを武器に、ヤクルト黄金時代のストッパーとして君臨しました。
その頃から恩師である野村克也氏の薫陶を受け、今は野村イズムの継承者としてチームを率いて、名将への階段を登っています。
今回はそんな、高津臣吾監督の家族(妻・息子)構成や経歴、監督としての評価、性格など、まとめてみました。
『新時代の名将』とも言われる、高津臣吾監督の言葉の力や人間力などの魅力もたっぷり紹介していますので、ぜひ最後までご覧になってください。
ヤクルト・高津臣吾監督の基本情報と経歴
〜基本情報〜
名前:高津臣吾(たかつ しんご)
生年月日:1968年11月25日
出身:広島県広島市
身長・体重:180cm・73kg
出身高校:広島県立広島工業高等学校
出身大学:亜細亜大学
プロ入り:1990年ドラフト3位指名
ポジション:投手
幼少の頃は、広島出身ということもあって、大の広島カープファンで、特にお気に入りの選手は山本浩二選手でした。
かつての広島市民球場によく足を運んで野球に触れ、小学校3年生の時に地元の軟式野球チームに入り、野球を始めます。
高校時代に、何か投手として自分の武器や特徴を作りたいとの思いから、投げ方をアンダースローに変更し、そこから投手として才能を開花させ始め、甲子園出場にも大きく貢献しています。
大学は当時の監督の勧めで、大学野球の強豪・亜細亜大学に進学し、そこで投手として、東都大学野球リーグと全日本大学野球選手権大会の優勝に貢献しています。
この大学時代に、フォームをサイドスローに変更、のちに代名詞となるシンカーを投げるようになっています。
大学の活躍でプロの道も拓かれましたが、意中の球団からのオファーはなく、社会人野球に行くか迷っている時に、当時のヤクルトスワローズの名スカウト・片岡宏雄氏に、その才能を見出され、ドラフト3位で入団しています。
選手時代
入団した当初の監督は、のちに恩師として関係性を築く、野村克也監督でした。
その監督から、『高津、100キロのシンカーを投げられないか』と言われ、約1年かけて球速100キロ台シンカーの取得。
この遅いシンカーが打者のタイミングを外し、ストッパー高津臣吾の代名詞となりました。
そこからは、ヤクルト黄金時代の絶対的ストッパーとして君臨し、4度の最優秀救援投手を獲得。
また、1993年、1995年、1997年、2001年には日本シリーズを制覇し、3度の胴上げ投手となっています。
その後、メジャーリーグに挑戦し、そこでもシンカーを武器にクローザーとして活躍、24試合連続無失点という記録も作ります。
2006年に同僚でもある、古田敦也氏がヤクルト監督に就任し、日本球界に復帰。
抑え投手として、日米通算300セーブという史上二人目の偉大な記録を樹立しました。
その後は年齢による怪我や故障に悩まされるも、不屈の闘志で現役にこだわり、韓国プロ野球、台湾プロ野球、日本の独立リーグを経験し、2012年に現役を引退。
『栄光も挫折も味わった』という簡単な言葉では表現できないほど、濃密な現役生活ですよね。
監督としての引き出しの多さは、この現役生活で得た経験からきているのではないでしょうか。
コーチ・監督時代
現役を引退してからは、野球解説者・野球評論家として活躍していましたが、2014年に古巣である東京ヤクルトスワローズの1軍投手コーチに就任。
2015年には投手力強化が実を結び、救援防御率1位を獲得し、リーグ優勝に貢献しています。
2017年から2軍監督に就任し、高橋奎二選手や原樹理選手など、今活躍している選手の育成に力を注ぎました。
その後、2020年に1軍監督に就任。その年は思うような結果を残せず最下位に終わるも、若手選手を我慢強く起用したりと、チーム力強化の種をまき、2021年その種が見事に花を咲かせ、6年ぶりにリーグ優勝、球団20年振りの日本一を獲得。
若手選手の疲労を考慮しての独自のマネジメント法を導入したりと、ベテラン・中堅・若手がそれぞれプレーしやすい環境を作り、今季も2連覇を狙えるチーム力で首位を快走しています。
2022年シーズンも開幕から故障者を出し苦しいスタートでしたが、昨シーズンの優勝を経験した選手たちには焦りはありませんでした。
シーズン序盤から投打が噛み合い、破竹の勢いで勝利を重ね、リーグ2連覇を達成しています。
高津臣吾監督の家族(妻・息子)構成は?
妻
高津臣吾監督の妻は、芸能人の方ではなく、一般の方で元の職業は客室乗務員だったそうです。
出会いは、同僚の古田敦也氏の結婚式の二次会が最初だったようで、そこから交際に発展し、結婚をしています。
出会いから結婚、出産に至るまで、ご本人が自身のブログで赤裸々に語っていますので、良かったら覗いてみてください。
高津臣吾監督の家での様子も書かれているので、楽しめます!
ブログはこちら。
息子
高津臣吾監督には、二人の息子さんがいます。
長男も次男も、監督の影響もあり、野球をしています。
二人とも、高校は人気野球漫画『ドカベン』のモチーフになった、新潟明訓高校の野球部に所属していました。
お兄さんは、その後武蔵大学に進学し、大学でも野球部の所属、父親譲りのサイドスローで活躍を期待されましたが、怪我に悩まされ、思うような活躍はできませんでした。
現在は、フジテレビに就職しているようで、今後テレビ番組の制作でスポットライトが当たる日が来るかもしれませんね。
スポーツマンらしく元気がよく、同僚の中ではムードメーカー的存在だそうです。
弟さんは、お兄さんと同じ高校に進学しましたが、その後の情報は分かりませんでした。
お兄さんとは別の道に進んでいる可能性もありますが、好きな野球に携わる仕事してるといいなと思います。
実はおちゃめ!?高津臣吾監督の気になる性格
高津臣吾監督と言えば、ヤクルトの現役時代に、アフロの髪型ででクリスタルキングの名曲『大都会』を熱唱する姿が『プロ野球珍プレー・好プレー』の番組で紹介されていました。
あれを見れば、ひょうきんで周りを明るくする性格なのかなと思いますが、実はあれは仮の姿だそうです。
そう語るのは、高津臣吾監督が現役時代に、ヤクルトのバッテリーコーチを務めていた八重樫幸雄氏です。
彼は気持ちの切り替えがとても上手なので、ピンと張りつめたときや緊張状態にあるときには、意識的に明るく振る舞うことができるタイプだと思うんです。
Web Sportiva
一言でまとめると、『気遣いができる』と言ったところでしょう。
調子が悪くても、チームメイトにそう感じさせないように振る舞うのは、高津臣吾監督の野球に対する姿勢でもあるかもしれません。
ストッパーというもの凄いプレッシャーの中で戦うので、『弱気な姿を見せない』という強い気持ちの表れだと思いますし、その姿勢が監督やコーチ、チームメイトの信頼となり、ヤクルトの黄金時代を支えたと感じます。
現在、監督になってもその『気遣い』は選手起用や選手の体調に関するマネジメントの部分で随所に出ていると思います。
ベテラン・中堅・若手が強い結束で結ばれているのは、高津臣吾監督の『気遣い』が良い潤滑油となっているからなのではないでしょうか。
選手たちが心酔する『言葉の力』と『人間力』
昨年のペナントレース終盤、優勝に向けて一戦一戦が大切になってくる、試合前のミーティングで高津臣吾監督は選手たちにこんな言葉を投げかけています。(一部抜粋)
自分の足元をしっかり見つめ、周りのチームメイトを信じ、チームスワローズが一枚岩になったら、絶対に崩れることはない。絶対に大丈夫。
僕は選手でもないですが、このミーティング動画を見た時に、グッとくるものがありました。
シンプルな表現ではありますが、これほど勇気づけられる言葉はなかなかないと思います。
これも、シーズン終盤になって選手たちにはプレッシャーがかかるから、少しでも前を向けるように背中を押してあげようと考えた、高津臣吾監督の『気遣い』だったのかもしれません。
実際、このミーティングの後は、チームとして崩れることなく快進撃を続け、日本一になっています。
また、僕はこのミーティング動画を見て、高津臣吾監督は日頃から選手たちをよく観察し、コミュニケーションを図って良い関係性を築いていると感じました。
どんな良い言葉を言っても、話す側と聞く側に信頼関係がないと意味がありません。
動画の中では、『何かあったら、抱え込まず俺に言ってくれ』とも選手たちに伝えています。
組織のリーダーのあるべき姿だと思いますし、それが選手にも浸透していることがヤクルトスワローズの強さに繋がっていると思います。
高津臣吾監督の著書
こちらの本では、監督としてのマネジメント方法や考えなどを詳しく体験に基づいて紹介されています。
僕も読みましたが、今のヤクルトの強さの秘密が隠されているように感じます。
一度手に取って読んでみてください!
恩師・野村克也氏とのほっこりエピソード
昨年、恩師である野村克也氏を偲ぶ会で、高津臣吾監督が弔辞を読む場面で、グラウンド外でのエピソードを語っていました。
グラウンド以外の思い出は多くはないですが、1つ大きな思い出があります。
中日スポーツ
大阪である番組の収録。監督と2人で出演するため、前夜から大阪入りしていました。
夕食をご一緒させていただくことになり、何時にこの店と指定され、少し早めに入店すると、カウンターに1人のお客さん。
その方は沙知代夫人でした。少し遅れて来られた野村監督と、沙知代夫人の間に座って食べた、おそらくおいしい料理の味は全く覚えていません。
しんみりとした流れになるのかなと思っていましたが、『おいしい料理の味は全く覚えていません』というフレーズで思わずクスッと笑ってしまいました。
『野村監督がポツポツ喋り、沙知代夫人が途中で話を遮り、その間で高津臣吾監督が恐縮しながらご飯を食べている』
こんな短い文ですが、その料理屋さんでの光景が鮮明にイメージできますよね(笑)。
高津臣吾監督の評価と凄さ
ヤクルトにとって長年の課題であった、投手力の底上げに成功したことは、やはり投手出身監督ならではかなと思います。
先発陣がしっかりゲームを作り、中継ぎが繋ぎ、ストッパーで試合を決めるという流れが確立されているので、ゲームプランに迷いがない印象があります。
昨年の日本シリーズ初戦で、サヨナラ負けをしてしまい嫌な流れだったにも関わらず、選手たちを信頼し、一貫性のある采配を貫いていました。
また、今シーズンは主力選手に怪我があったりと、万全な形でのスタートは切れなかったものの、積極的な若手起用でその穴を埋め、戦力の底上げにも成功している印象です。
一貫性のある采配、不測の事態に備えてのリスクマネジメント、積極的な若手起用、特にこの3つが高津臣吾監督の凄さだと思います。
多くの野球解説者が『ヤクルトに黄金時代が来る』と評価しているように、まだまだチームも高津臣吾監督も進化していくのではないでしょうか。
まとめ
高津臣吾監督についての紹介でした。
昨年、20年ぶりに日本一になりましたが、そこからまた一段とチーム力が上がり、ほんとうに強さを増した印象が、今年のヤクルトスワローズにはあります。
『自分の足元を見つめ、チームメイトを信じて、チームスワローズが一枚岩になれば絶対に崩れない』昨年の言葉がそのまま、今年も引き継がれています。
その中心は高津臣吾監督であり、選手たちはその監督の姿や言葉を信じて躍動しています。
おそらく、まだまだ成長の手を緩めることなく、進化し続けていくはずです。
これからどんな、『高津マジック』が飛び出すか、期待して待ちましょう!
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
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