この記事は2022年7月25日に情報を更新しています。
こんにちは!りょーすけです!
多くのプロ野球選手がいる中で、今、最も旬で注目されている若手選手は間違いなく佐々木朗希選手だと思います。
あのダイナミックなフォームで160kmを超えるストレート投げ、三振の山を築く姿は圧巻ですよね♪
そこに注目がいきがちですが、『朗希』という名前の読み方にも注目が集まっています。
僕自身も、最初は珍しい読み方だなと思っていた一人です。
今回は、そんな佐々木朗希選手の名前の読み方とその由来、両親や兄弟などを記事にしました。
彼の生い立ちや素顔に迫っていきますので、この機会に知ってもらえると嬉しいです!
佐々木朗希選手の経歴
〜基本情報〜
名前:佐々木朗希(ささきろうき)
生年月日:2001年11月3日
出身:岩手県陸前高田市
出身高校:岩手県立大船渡高等学校
所属:千葉ロッテマリーンズ
身長:190cm
体重:85kg
愛称:令和の怪物
〜選手情報〜
投球・打席:右投右打
ポジション:投手
プロ入り:2019年千葉ロッテマリーンズ・ドラフト1位指名
初出場:2021年5月16日
年俸:3000万円(推定)
生まれは陸前高田市ですが、小学3年生の時に東日本大震災で被災し、実家も流されたため、4年生の時に大船渡に家族と一緒に移り住んでいます。
中学校では軟式野球部に所属、中学校の時点で自己最速の141kmを計測しており、この時から大器の片鱗を見せています。
その後は高校に進学し、1年生で147kmを計測、2年生では当時史上最速の157kmを記録しています。
この頃から『令和の怪物』と呼ばれるようになり、ドラフト1位候補としてプロ注目選手になりました。
佐々木朗希選手の意外すぎる名前の由来は?
読み方は、佐々木朗希(ささき ろうき)。日本語の良さが出ている、美しい漢字の組み合わせですよね。
実は、この名前の由来にはユーモアのあるエピソードがあります。
この『ろうき』という読み方は、実は、戦隊シーリーズ・百獣戦隊ガオレンジャーの敵役『狼鬼(ろうき)』から取ったそうです。
ヒロインではなくて、敵役から名前を取るなんて、センスありますよね。
さらに、このエピソードには裏話があり、最終的に名前を決めたのは両親ですが、この『ろうき』にしようと提案したのは、当時3歳だった兄の琉希さんでした。
このお兄さんの提案を、完全否定することなくしっかり形にするあたり、両親の心の広さを感じます。
『狼鬼』が『朗希』に変わり、唯一無二の感じがしてすごく格好良いですよね。
これから、漢字を変えて『ろうき』と名付ける親が増えそうな気がします(笑)。
佐々木朗希選手の両親(父・母)・兄弟の家族構成
佐々木朗希選手の家族構成は、父親・母親・兄・弟の5人家族で、次男坊になります。
お母さんは、佐々木朗希選手がプロ契約する際に、同席しており美しい母として話題になりました。
その際、お父さんは同席していなかったのですが、実はお父さんは東日本大震災で被災し亡くなっています。
佐々木朗希選手は、この震災でお父さんと祖父母を亡くしており、大変辛い経験を乗り越えて今の活躍があります。
仕事が忙しい中でもお父さんは、毎日キャッチボールをしてくれていたようで、佐々木朗希選手は野球をすることで、お父さんとの思い出を大切に守ってきたのかなと思います。
プロ野球選手になり、完全試合の偉業を達成した愛息子を、天国のお父さんはどれほど喜んだことでしょうか。
きっと、『よくやったぞ!朗希!』と空から声をかけていると思います。
高校の進学理由は仲間の為!?高校時代の成績は?
佐々木朗希選手は、東日本大震災で地元の陸前高田市を離れ、移り住んだ大船渡市にある、岩手県立大船渡高等学校に進学しています。
噂では甲子園の常連校で、数多くのプロ野球選手を輩出している大阪桐蔭高校に進学する可能性もあったようです。
佐々木朗希選手が中学校の時に、大阪桐蔭高校のスカウトが学校まで足を運んでいたので、この噂は本当だと思います。
しかし、佐々木朗希選手は地元の仲間と甲子園を目指したいとの理由で、大船渡高校を選んで進学しています。
『大震災を経験しても、諦めることなくこの地で野球を続けることができた』、だからこそ人一倍地元に対する想いが強い佐々木朗希選手の決断だったのではないでしょうか。
佐々木朗希選手は、3年生の時に県大会決勝まで駒を進めましたが、敗退し3年間で甲子園出場はありません。
ですが、この3年間地元の仲間と過ごした時間は大きな財産になっていると思います。
話題になった登板回避問題の真相
高校3年生の甲子園がかかる県大会決勝で、当時の大船渡高校の監督は『故障予防のため』という理由で、佐々木朗希選手の出場を回避させました。
この出場回避が直接的な原因とは思いませんが、チームは敗れ甲子園出場はできませんでした。
当時、この監督の判断によって学校には苦情の電話が殺到し、野球評論家の間でさまざまな議論がなされ、大きな話題になりました。
監督も苦しい葛藤があったと想像できますが、3年間ずっと見守ってきた愛弟子の将来を考えての決断だったと想像できます。
僕は、監督のこの勇気ある判断は正しいと思いますし、称賛されるべきものだと思います。
まだ成長段階にある青年の体は、同じ人間でも大人とは違います。
大人の勝手な理論を押し付けて怪我をさせてしまっては、子供の将来に何一つメリットはありません。
この出来事をきっかけに、高校野球では球数制限の話題が持ち上がっています。
野球ファンにとっては、佐々木朗希選手のピッチングを見たかったという想いも理解できます。
しかし、未来ある若者をその興行的なシンボルとして扱うのは違います。
今後、こういった出来事が起こらないように、社会全体で子供たちを守るための制度や環境を整えのえて欲しいと思います。
2022年5月31日、佐々木朗希選手の恩師である、国保陽平氏に対してスポニチが取材をしており、『もし、あの日に戻れるなら?』の問いに対して、国保陽平氏はこう語っています。
同じ決断を下します。3年間を一緒に過ごしてきて、積み重ねてきたものをひっくるめて判断しました。
スポニチ
当時のベストの判断なので同じ状況にタイムマシンで戻っても、その状況は変わらないので同じ決断が下されるということです。
決勝で投げさせなかったから今、活躍しているという直接の因果関係はないと思う。
それはそれとして、今、力強い球をいっぱい投げられていることはとても素晴らしいこと。
教育者として、僕は素晴らしいと思います。
その時の断片を見るのではなく、3年間という時間の積み重ねを見て判断する。
なかなかできることではないと思いますし、常に選手、生徒を第一に考えていることがよく分かります。
高校時代に国保陽平氏に出会えたことは、佐々木朗希選手にとって大きくプラスになったに違いありません。
チームメイト・松川虎生選手との関係性
佐々木朗希選手が完全試合を達成したましたが、その裏側で同じように注目を集めたのが相棒の松川虎生選手。
佐々木朗希選手もまだ20歳ですが、松川虎生選手は高校を卒業したばかりの18歳です。
可能性・夢・希望しか感じないバッテリーですよね♫
史上最年少で完全試合を達成した記録も、今後破られるかどうかの大偉業ですが、完全試合をリードしたキャッチャーの年齢も驚異的な記録だと思います。
そんな二人の関係性は、まるで兄弟にように強い信頼関係で結ばれており、佐々木朗希選手は全幅の信頼を寄せています。
二人は年齢も近いこともあり、出会ってすぐに打ち解けたそうで、今では他球団が恐れるバッテリーです。
選手としての特徴
佐々木朗希選手の最大の特徴は、足を大きく上げるダイナミックなフォームから繰り出される160kmを超えるストレートです。
プロの打者が分かっていても打てないので、恐ろしく伸びとキレがあると思います。
それに加えて、150kmに迫る落差のあるフォークを織り交ぜながら打者を打ち取っています。
ほぼ、この2球種で配球で完全試合を達成できているので、いかにこの2球種のレベルが高いかということが分かると思います。
今後、もっと配球や他の球種の制度を上げていけば、ほんとに誰にも手が付けれない投手になる可能性を秘めています。
まとめ
どうでしたか?
この記事のおさらいポイントは5つです。
・名前の由来は百獣戦隊・ガオレンジャーの敵役から取っている。
・地元の仲間と甲子園に行きたいと地元の高校に進学。
・東日本大震災で父と祖父母を亡くす辛い経験をしている。
・160kmを超えるストレートと落差のあるフォークが最大の武器。
・相棒の松川虎生選手とは、兄弟のような関係性。
東日本大震災で家族や家、地元を失い、決して癒えることの無い傷を抱えている佐々木朗希選手。
それを乗り越え、諦めずに自分の夢を叶えたことに僕は一人の人間として尊敬します。
これから、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみですが、怪我や故障することなく大投手への階段を上っていって欲しいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
