こんにちは!りょーすけです!
高卒1年目から、球界のトッププレイヤーとして活躍している、読売ジャイアンツ所属の坂本勇人選手。
2016年、遊撃手(ショート)として2016年初の首位打者を獲得、2020年には通算2000本安打を記録しており、プロ野球史上最高の遊撃手との呼び声が高いです。
順風満帆な野球人生を歩んでいるように見えますが、その裏には最愛の母と親友との別れがあったりと、悲しい現実を突きつけられた時期がありました。
若くしてジャイアンツの主将となり、大きなプレッシャーの中でプレーしていますが、それでも自分の道を信じ前に進んできたのは、活躍を報告したい二人の存在があったのかもしれません。
今回は、そんな坂本勇人選手をたっぷり紹介していきます。
坂本勇人選手の基本情報
~基本情報〜
名前:坂本勇人(さかもと はやと)
生年月日:1988年12月14日
身長・体重:186㎝・86kg
出身地:兵庫県伊丹市
出身高校:光星学院高等学校(現・八戸学院光星高等学校)
所属:東京読売ジャイアンツ
憧れの選手:松井稼頭央
同級生:田中将大選手、前田健太選手
〜選手情報〜
投球・打席:右投・右打
ポジション:遊撃手(ショート)
プロ入り:2006年ドラフト・東京読売ジャイアンツ1位指名
1軍初出場:2007年7月12日の対阪神タイガース戦
年俸:6億円(推定)
国際大会:WBC代表(2013,2017)、プレミア12(2015,2019)、2021年東京オリンピック野球代表
坂本勇人選手の経歴と生い立ち
小学校1年生から地元のクラブチームで野球を始め、当時は投手を務めており、バッテリーを組んでいたのが、現在東北楽天イーグルスに所属する田中将大選手です。
中学校で硬式野球に転向していますが、田中選手とは別のチームに入団しています。
高校では地元を離れ、青森県屈指の名門・光星学院高等学校に進学しています。
坂本選手は、中学校時代からかなりやんちゃな学生生活を送っていたようで、そのため進路が決まらなかったようです。
しかし、甲子園出場の為に関西に来ていた、当時の光星学院高等学校の金沢監督のもとに、『ヤンチャだけど、素晴らしい才能を持った選手がいる』と連絡が入り、坂本選手の視察に訪れました。
その際、金沢監督が坂本選手の才能に惚れ込み、光星学院高等学校の進学が一気に決まりました。
金沢監督は、その視察の時点で、『彼はプロに行くだけの素質がある』とその才能を見抜いています。
金沢監督がいなければ、プロ野球選手どころか、中学校で野球を辞めていた可能性もありますよね。
縁というのは不思議なもので、坂本勇人選手にとって、金沢監督は野球人生において最大の恩師の一人と言っても過言ではありません。
また、坂本選手が高校在学時に鼻にピアスを開けて退部騒動を起こした際は、一方的に怒ることなく、地元に帰省させ様子を見るようにさせました。
坂本選手が飛行機で帰っている間に、監督は坂本選手の家族に電話をして『こんなところで終わる選手ではないから』と説得するように、お願いしたそうです。
結果的には、1週間後に学校に帰ってきて、そこからは野球に専念するようになり、大きな飛躍を遂げました。
『高校野球は人間教育の場』と言われますが、こうした選手のことを常に尊重する監督さんと出逢えたことは、坂本選手にとって最大の幸運だったと思います。
高校時代の成績
坂本勇人選手は、青森県屈指の名門・光星学院高等学校に進学しています。
甲子園の出場は3年生の春の選抜大会の1回だけで、しかもチームは1回戦で敗退しています。
その試合は、岡山の関西高校との対決で、当時プロ注目の投手がいました。
チームは敗れはしましたが、坂本選手はその投手から3安打を放ち、持ち前のバッティングセンスを発揮し存在感を放っていますが、高校時代は、決して全国区の有名選手ではありませんでした。
しかし、2000年から巨人の東北・関東地区の担当スカウトになった大森剛氏が、坂本選手の才能を見抜き、巨人の球団フロントに猛プッシュし、指名を強く要請したそうです。
当時の巨人編成部は、その年最大の目玉である愛工大名電の堂上直倫選手を1位指名することを決めていましたが、『ハズレ1位なら坂本を指名』という条件でドラフト会議に挑みました。
結果、堂上選手は中日ドラゴンズに指名を受け、坂本選手はハズレ1位で巨人から指名を受けました。
大森剛氏は、当時のことを『自分の進退をかけて坂本選手を球団に推した』と語っています。
今の坂本勇人選手の活躍を考えると、高校時代から有名な選手だと思ってしまいそうですが、実際はそうでななく、大森剛氏の存在がなければ、ドラフト会議でかけられることはなかったかもしれません。
『プロ野球選手になれるのはほんと一握りの人だけ』という言葉をよく聞きますが、坂本選手のエピソードがそれを物語っているような気がします。
坂本勇人選手の魅力・凄さ(特徴)
打撃
ジャイアンツでレギュラー定着後は、シーズン平均150本以上の安打を記録している日本屈指のヒットメーカーでありながら、ホームランも打てるパンチ力も兼ね備えています。
実際、2019年にはシーズン40本塁打を記録、2020年には通算2000本安打を達成しています。
外角打ちを苦手としていますが、インコースの打ち方は球界でも屈指の評価を受けており、逆方向へのヒットが坂本選手の代名詞でもあります。
年齢もまだ33歳なので、現役の選手の中で間違いなく通算3000本安打に近い選手だと思います。
歴代最高安打数は、張本勲氏の3085安打、この記録を抜く日が来てほしいですね♫
守備
遠投110メートルの強肩を武器に、広い守備範囲と一塁への送球の安定感には定評があります。
それに加えて、キャッチャーのサインや配球、打者の特性に合わせて守備位置を細かく変えることで、打球への反応も抜群です。
プロ野球の歴史に残す遊撃手の中でも、坂本選手の身長(186㎝)は飛び抜けて高く、俊敏性が求めらるポジションにあって、この守備力の高さは驚異的だと思います。
また22歳の時に、かつてヤクルトスワローズに所属していたゴールデングラブ賞9回の名手・宮本慎也氏の自主トレに参加したのは、話題になりました。
ここで教わったことが守備力向上に大きく影響したことは、坂本選手本人も認めており、その教えは今のジャイアンツの若手選手に受け継がれています。
坂本勇人選手の生涯年俸
坂本選手が入団したのは2007年で、その年の年俸は650万円でした。
そこからは順調に額は増え、5年目の2011年に大台の1億円を突破しました。ジャイアンツは12球団で一番資金力がありますが、坂本選手の活躍を考えれば妥当な年俸だと思います。
2022年の現在の年俸は6億円で、この年俸は日本プロ野球界で2番目に高い額です。
2007年の入団からの総獲得年俸は約45億円になります。実際は、他にもCM出演や番組出演料、スポンサー広告料などを考えると、50億円以上になると思います。
メジャーリーグには行ってないですが、日本球界で最も稼いでいる選手の一人であることは間違いありません。
活躍の裏に隠された涙のエピソード
最愛の母との別れ
坂本勇人選手の両親は、小さい頃に離婚されており、母子家庭で育っています。
坂本選手は2007年にジャイアンツに入団していますが、その時にすでにお母さんは病気を患い余命宣告を受けていました。
入団してすぐの2007年5月12日に、坂本勇人選手は2軍の試合に闘病中の母を招いています。
その試合の第一打席でホームランを放ち、その後も2塁打を打つなど活躍しました。その姿を見ていたお母さんは、涙を流して喜んでいたそうです。
愛息子が念願のプロ野球選手になり、活躍する姿を見届けたこの試合の1ヶ月後に、最愛の母は天国に旅立ちました。
18歳の坂本選手にとって辛い現実だった思いますが、それに負けることなく、その年の7月には1軍出場を果たしています。
きっと、お母さんも今の活躍を空から見て喜んでいることでしょう。
亡き親友との約束
坂本勇人選手は、高校時代に同じ野球部に所属していた親友を、2017年に亡くしています。
同じ関西出身ということもあり、高校時代に帰省する時はいつも一緒で、卒業後も遠征の合間に食事に出かけるなど、交流を続けていたそうです。
しかし、坂本選手がデビューした2007年頃から体調を崩し、2017年には余命宣告を受けるほどの病状が悪化していました。
亡くなる少し前に、試合が中止になったタイミングで坂本選手は病室に足を運び、親友との最後の会話をしています。
その1ヶ月後に友は天国へ旅立ち、試合のため通夜に出席できなかった坂本選手は、弔電で亡き友に言葉を送っています。
『お前の分まで野球を頑張るので応援していて。耕一郎に出会えて本当に良かった』
その通夜があった日、坂本選手は2本塁打を放ちお立ち台に上がっています。
まとめ
どうでしたか?
今や日本球界を代表する遊撃手として活躍している坂本選手ですが、高校時代は全国区の選手ではなかったのは驚きですよね。
野球を続けていない可能性すらあったことを思うと、人生の節目での出逢いが大きく影響したと思います。
野球人生としてはもう後半に突入していますが、3000本安打という偉大な記録に向けて頑張って欲しいですよね。
これからのさらなる活躍に期待しましょう!

最後まで、読んでいただきありがとうございました。
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