オリックス・バファローズに所属している宗佑磨(むねゆうま)選手。
驚異的な身体能力を武器に、オリックスの中心選手として活躍をされています。
そんな宗佑磨選手ですが、気になるのはやはりハーフっぽい風貌ですよね。
そこで今回は宗佑磨選手の両親の国籍を紹介しつつ、ハーフ説を紹介します。
母親との絆を感じるエピソードも触れているのでご覧ください。
宗佑磨の両親の国籍はどこ?
早速ですが、宗佑磨選手の両親の国籍について紹介します。
父親
宗佑磨選手のお父さんは、一般人の方で国籍はアフリカ大陸にあるギニア出身です。
残念ながら、職業や年齢、名前などは一切公表されていません。
ギニアはアフリカ大陸西部に位置する国で、サッカーの強豪国として知られるセネガルやコートジボワールと国境を接します。
ギニア出身の有名人といえば、タレントのオスマン・サンコンがこの国の出身で、日本でタレント活動後、故郷に日本の文具や衣類、中古医療器械を寄付、サンコン小学校を建てたりされています。
母親
宗佑磨選手のお母さんは『ミカ』さんといい、日本人の方になります。

ミカさんは小さい頃からクラシックバレエを習っていたそうで、その影響で20代の頃からフラメンコ・サルサの歌手をしながら、音楽事務所で外国人音楽家のライブ企画や来日を斡旋するようなお仕事をされいました。
そのことがありアフリカの太鼓音楽に魅了され、1992年にセネガルに渡ったようです。
すごい行動力ですよね。
今でもセネガルに行こうと思うと、乗り継ぎなどで相当な時間がかかると思いますが、その当時はどれくらいに時間がかかったのでしょうか。
そして、その時に出会ったのが国立サダンサーをしていたギニア人の旦那さんでした。
20代の頃からアフリカの太鼓音楽に魅了され、92年にセネガルに渡り、縁あって知人のギニア人で国立バレエダンサーと結婚。
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何度か日本とアフリカを行き来しつつ、しばらく現地で生活した後、一緒に帰国した。
その後、1996年に日本で宗佑磨選手を出産されています。
しかし、結婚生活は長く続かずその翌年の1997年に離婚しました。
宗佑磨選手のお父さんの情報がほとんどないのは、こうした背景があったからだと思います。
宗佑磨のハーフ説は?
先ほど紹介したように、宗佑磨選手は父がギニア人で母が日本人なので、ギニアと日本のハーフになります。
サッカーの試合や陸上の国際大会などを見ると、アフリカ系の選手は身体能力が高いですよね。
宗佑磨選手もギニア人の父親の遺伝で、身体能力が優れているのかもしれません。
また、プロ野球界では現在読売ジャイアンツの所属するオコエ瑠偉選手(ナイジェリア人と日本人のハーフ)と『ハーフ会』とういうものを結成して、結束を固めているそうです。
宗佑磨と母親との絆
離婚
先ほど紹介したように、宗佑磨選手のご両親は1歳に頃の離婚をされています。
1歳で母子家庭となり、母親であるミカさんは息子と生活をするために稼ぐ必要が出てきました。
当面の生活のために派遣先の保険会社や食品会社に勤務する傍ら、「手に職をつけることが必要」と考えていたミカさんは、新聞の広告に目を留める。
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植物の恵みで薬に頼らない自然療法のアロマセラピーという文句に興味を持ち、資格取得を目指した。
その後、幼い息子の教育や食生活も考え、大阪市の実家に引っ越し。
両親の手を借りながら愛息を育て、栄養士の資格取得のため2年間、専門学校にも通った。
卒業後、実家近くの保育園に栄養士として就職。
06年から本格的に、整体師、セラピストとして活躍している。
一人でアフリカに行くだけあって、すごいバイタリティーですよね。
子育てしながら専門学校に通うのは、なかなか普通ではできないことだと思います。
そんなしんどい生活でも、心の支えは息子の存在だったようです。
精神的につらい時期もありましたが、それを支えてくれたのは佑磨の存在でした。
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『佑磨を守る』。その使命感が私を奮い立たせてくれました。
大切にしたのは笑顔。
どんなにつらいことがあっても笑い飛ばす。そうすることで自然と気持ちが明るく、前向きになれます。
子を想う気持ちは、活力の源ですね♬
プロ野球選手になり、母親のミカさんも心から喜んでいるのではないでしょうか。
いじめ
宗佑磨選手はハーフということもあり、肌の色の違いから周囲にからかわれることが多かったそうです。
小学校時代はあまりいい思い出がありませんでした。
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人から肌の色のことを言われることが多かったし、できるだけ人前で目立つことはしたくなかった。
辛い出来事ではありましたが、そんな宗佑磨選手が夢中になったのが小学校3年生から始めた野球です。
野球に打ち込むことによって、忘れることができたと言っても過言ではありませんよね。

お母さんは小さい頃から母であり、父や兄弟のような存在にもなってくれた。口喧嘩は頻繁にしましたけど、お母さんがいなかったら僕はいない。
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お母さんはいつも自分を守り、つらいときでも笑わせてくれた。
これからは、自分がプロで頑張ってお母さんを喜ばせたい。
この言葉は、ドラフト会議でオリックスから指名を受けた際のインタビューです。
1歳の頃から二人三脚で過ごしてきた二人、お互いの心の中には常に『支え合う』があったんだと思います♬
宗佑磨の経歴
〜宗佑磨の経歴(プロフィール)〜
名前:宗佑磨(むね ゆうま)
生年月日:1997年6月7日
身長・体重:181cm・83kg
出身地:東京都武蔵野市
出身高校:横浜隼人高校
所属:オリックス・バッファローズ
〜選手情報〜
投球・打席:右投・左打
ポジション:三塁手
プロ入り:2014年ドラフト会議オリックス・バッファローズ2位指名
1軍初出場:2016年9月18日
年俸:7800万円(2023年推定)
タイトル:ベストナイン:2回(三塁手部門:2021年、2022年)・ゴールデングラブ賞:2回(三塁手部門:2021年、2022年)

まとめ
宗佑磨選手の両親の国籍とハーフ説についての紹介でした。
ハーフの方にしか分からない苦労があったんですね。
それでもこうして活躍出来ているのは、宗佑磨選手の努力の賜物だと思います♬
まだまだ年齢も若いので、さらなる活躍を期待しましょう。
