得意なダンスや歌をいかして活躍している、女優・伊原六花(いはら りっか)さん。
バブリーダンスで一躍有名になったことで、知っている方も多いと思います。
あの一糸乱れぬダンスは、圧巻の一言ですよね。
そこで今回は伊原六花さんの高校時代、また人生の分岐点となった出来事について紹介します。
伊原六花の高校時代はダンス部キャプテン!
早速ですが、伊原六花さんの高校時代を紹介していきます!
90人を束ねるリーダー
伊原六花さんは大阪府立登美丘高等学校普通科に入学、振付師のakaneさんが指導する同校ダンス部に所属していました。
そして、高校3年生の時には部員数90人の中でリーダー・キャプテンとして、ダンス部をまとめています。
そもそもダンス部に90人の部員数がいることに、驚きですよね♬
筆者が卒業した高校の野球部より多い部員数なので、ちょっと想像がつきません。

ダンス部といってもとてつもなく厳しい部活だったようで、高校時代を振り返って伊原六花さんはこのように語っています。
ダンス部は入ってみるとめちゃくちゃ体育会系でした。
毎日新聞 DIGITAL
先輩には前に回り込んであいさつしないといけなかったり、座る姿勢も決まっていたり。
代々受け継がれているルールが厳しかった。
でもみんな登美丘高校ダンス部であることに誇りを持っていて、ついて行きたいと思える先輩方でした。
そんな部活のキャプテンになったことは、大きな名誉だったかも知れませんね♬
バラエティー番組やインタビューでハキハキ話すことが出来ているのは、この高校時代のキャプテ経験がいきているのではないでしょうか。
輝かしい実績
大阪府立登美丘高等学校のダンス部は全国的に有名で、ダンス大会でも優勝する名門です。
伊原六花さんも、高校1年生と2年生の時に日本高校ダンス部選手権で優勝、そして最後の大会では準優勝と輝かしい成績を残されています。
2015年の時の写真がこちらです。

次は、おばちゃんダンスで人気だった2016年♬

準優勝に終わってしまった最後の大会の『バブリーダンス』です。
どれだけの練習をすれば、ここまで全員がずれることなく演じることができるのだろうかと思ってしまいます。
午前7時すぎから朝練で、昼休みには昼練。放課後ももちろん練習。
毎日新聞 DIGITAL
大会前の夏休みは朝から晩まで13時間近く踊っていました。
補食として練習の合間におにぎりやドーナツを1日5食食べる高校球児のような生活でした(笑)
『捕食』って言っているところが、すでにおかしいですよね(笑)
この高校生の時にしかできな練習量だと思いますし、これだけしないとこの3つのダンスの完成度は作れないということなんだと思います。
紅白出場
伊原六花さんが高校3年生の時には惜しくも3連覇を逃し準優勝でしたが、そのダンスの選曲などがメディアに注目され、2017年の紅白に出場しました。
その時は、なんと歌手の郷ひろみさんと共演をされています。

また、バブリーの伝道師・平野ノラさんとも番組企画で共演をしました。
これだけみても、バブリーダンスの反響の大きさがわかりますよね♬
そんな激怒の高校3年間を終えて、伊原六花さんは仲間の存在に感謝していました。
最後まで走り抜けられたのは仲間と一緒だったから。
毎日新聞 DIGITAL
2分半ほどのダンス中もラストのサビになってくるときついんです。
でも横で踊っている仲間を感じ、ソロで踊る子には「がんばれ!」と大声を出すんです。
みんなでやっているからこそだなと思っていました。
キャプテンとしてきついこともたくさんありましたがそこで励ましてくれる子、無言で手伝ってくれる子の存在に助けられました。
筆者も体育会系なのでよくわかりますが、伊原六花さんにとってこの高校3年間の経験はいつでも心の中にあると思います♬
伊原六花の経歴
〜伊原六花の経歴(プロフィール)〜
名前:伊原六花(いはら りっか) 本名:林 沙耶(はやし さや)
生年月日:1999年6月2日
血液型:A型
出身地:大阪府狭山市
出身高校:大阪府立登美丘高等学校普通科
所属事務所:フォスター
ジャンル:女優・歌手
活動期間:2017年〜

伊原六花さんは4歳の頃からバレエを習い始め、体で表現する楽しさを知りミュージカルに興味を持つようになりました。
そして、2008年〜2012年まで『子どもミュージカル』で、コーラスやダンスを受けるレッスンを受けています。
2012年、劇団アークス主催のミュージカル『ズボン船長〜Fifi & the Seven Seas〜』のオーディションに見事合格。
2013年からは2年間劇団アークスに所属、同作品ではジョジョ姉役を演じています。
2015年〜2017年にかけては、沖縄発祥の舞台芸能『現代版組踊』にも取り組み、精力的に活動をしていました。
2015年〜2017年は、先ほど紹介したように大阪府立登美丘高等学校のダンス部に所属し、高校卒業は大学に進学してオーディションを受けるつもりだったそうです。
ところが、バブリーダンスの反響が大きくその活躍を目にした現在所属している事務所からスカウトされ、高校3年生の在学中の2017年10月1日に正式に所属されています。
そこから芸名『伊原六花』として、芸能活動をスタートしました。
伊原六花の人生の分岐点
伊原六花さんは大阪府立登美丘高等学校に進学しましたが、中学2年生までは学校の存在すら知らず、別の高校への進学を考えていたそうです。
もともとわたしは、違う高校への進学を考えていたんです。
学区が違ったので登美丘高校のことはまったく知らなかったし、姉のいる高校などを考えていました。
ところが進路相談している時に、担任の先生が『ダンスが盛んな高校があるけれど』と紹介してくれたのが登美丘高校だったんです。そこで調べてみたら、YouTubeにダンス部の動画が上がっていて、それを見たらヒップホップやロックではなくてミュージカルっぽいダンスだったので、『これだ!』と思ったんです。
web Sportiva
それから登美丘に入るために、必死に勉強しました。
筆者が高校在学中は、基本的に住んでいる地域の学区内への進学が普通で、学区外への高校へ進学することが出来たのは、学校で一部の成績優秀者しかできませんでした。
しか、筆者が大学から社会人になるタイミングくらいで、その学区内制度が大幅に緩和され、誰もが自分の行きたい学校へ受験ができるようになっています。
伊原六花さんは、ちょうどその学区内制度が緩和されたことで、進路の選択肢が広がったんだと思います。
もしその学区内制度の緩和が数年遅れていれば、登美丘高等学校の存在を知らずに別の高校に進学していた可能性はありますよね。
間接的ではありますが、この出来事がなければ伊原六花さんの人生も違っていたのではないでしょうか。
まとめ
伊原六花さんの高校時代の紹介でした。
自分自身のことを運が強いというだけあって、すごいサクセスストーリーでしたね。
芸能界で活躍するには、こういった引き寄せの運も必要なんだと思います。
これからの活躍に期待しましょう♫
